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節分の由来 

豆まきの由来

豆まきの風習は、奈良時代に中国から伝わった「追儺(ついな)」の儀式に由来します。追儺は「鬼やらい」ともいい、疫病や災害を追い払うための儀式で、中国では紀元前三世紀の秦の時代には既に行われていました。疫病や災害は鬼にたとえられ、桃の弓や葦の矢、矛、盾などで鬼を追い払っていました。

日本へは遣唐使によってもたらされ、706年に疫病が大流行し大量の死者が出たとき、当時の文武天皇がこの鬼やらいの儀式を行ったのがはじまりとされています。ただ、豆をまく風習はまだなく、中国流に桃の弓、葦の矢を使って鬼を追い払っていました。その後、次第に民間でも行われるようになり、850年代頃から行事化たそうですが、室町時代(1338年頃~1573年頃)あたりまでは12月の大晦日の行事でした。

なぜ豆をまくようになったか。その由来ですが次のような話が伝わっています。
「その昔、鞍馬の奥に人に害を与える鬼がいた。あるとき毘沙門天が現れて七人の賢者を呼び、三石三斗(約600リットル)の大豆で鬼の目を打てと命じ、賢者は鬼を退治することができた」
鬼の目を打つのでまめ(魔目)といい、また、魔滅にも通じるからだそうです。

ちなみに「鬼は外、福は内」と唱えながら豆をまくようになったのは南北朝時代からだそうです。

この行事は神道や仏教とは無関係ですが、他の多くの年中行事と同じように神社仏閣にも取り入れられ、明治維新の前後、一時廃れましたが再び行われるようになり、現在も盛んに行われるような行事となっています。

焼嗅がしの由来

焼嗅がしは平安時代には既に行われていました。『土佐日記』に「小家の門のしりくめ繩のなよしの頭ひゝら木らいかに」と記述があり、この頃はボラ(鯔、古名:ナヨシ)の頭を使ってたようです。
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[2006/02/03 19:38] 節分 | TB(0) | CM(0)

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